企業情報 サワイの歴史

1929年に創業した沢井製薬は、当時まだ希少であった薬局として、地域社会に貢献してきました。その後、医薬品メーカーへ転身し、半世紀以上にわたり、真心をこめた高品質なジェネリック医薬品を通じて社会に貢献してきました。

「なによりも患者さんのために」というスローガンのもと、ジェネリック医薬品のリーディングカンパニーとして人々の健康のために力を注いできた沢井製薬の歴史を振り返ります。

1929大阪市旭区に澤井乃よ(薬剤師)、範平が沢井製薬の前身である
澤井薬局を創業

今から約90年前、大阪の旭区から沢井製薬の歴史は始まりました。
薬剤師の澤井乃よと澤井範平により沢井製薬の前身である澤井薬局が誕生。
当時(昭和初期)は薬局そのものが希少な時代で、澤井薬局は地域の町薬局として医薬品販売を通じて住民の健康を支えていました。

  • 澤井乃よ
  • 澤井範平

1948大阪市旭区に澤井製薬株式会社(現 沢井製薬株式会社)を設立

戦前戦後の混乱期、社会のニーズに応えるため創業地である大阪市旭区に澤井製薬株式会社を設立しました(資本金195千円)。設立と同時に医薬品販売のみだった薬局から、薬の研究・製造部門を持った一般家庭用医薬品メーカーへと転身。設立当初は十数名からのスタートで、主に目薬・膏薬・ビタミン剤をはじめとした、さまざまな薬の研究開発を行っていました。

1950薬価基準制度発足

1961国民皆保険制度スタート

1962ニンニクエキスの製法特許を取得

ニンニクエキスの製法特許を取得し、ニンニクエキス入りビタミンB1製剤「ヨロンP」「アリアロン」を発売。また、医療用製剤の分野に進出したのもこの頃です。

  • 当時の社屋
  • 当時の「ヨロンP」の広告

1964東京オリンピック開催

1965医療用医薬品メーカーへシフト

一般用医薬品メーカーから医療用医薬品メーカーへシフトし、ジェネリック医薬品業界のリーディングカンパニーへと成長する礎を築きました。

1970日本万国博覧会開催

1979商号を沢井製薬株式会社に変更

1981九州工場完成

安定供給を確保するため、広い土地と豊富な人材がそろう福岡県に九州工場を建設。

1984大阪研究所(当時)を開設

研究設備の集約と充実を目的として、大阪研究所(当時)を開設。

1985メディサ新薬株式会社を設立

1987メディサ新薬九州工場(現 第二九州工場)完成

1988ジェネリック医薬品の啓発活動に東奔西走

澤井治郎が代表取締役会長、澤井弘行が代表取締役社長に就任。
「新薬の特許が切れた薬は国民の共有財産である」という考えのもと、後発医薬品は「ジェネリック医薬品」と呼ばれるようになりました。1990年代から現在にかけて、ジェネリック医薬品の啓発活動、地位向上、使用促進を推し進め、患者さんの負担軽減と国の医療費節減に大きく貢献。
ジェネリック医薬品業界のパイオニアとして業界を積極的に先導しています。

ジェネリック医薬品の名前の由来とは

欧米でお薬をブランド名ではなく「一般名」(generic name)で処方していることに由来して、「ジェネリック医薬品」(generics)と呼ばれ、それが世界共通の名前になっています。

1989消費税3%導入

1990 経営理念(当時)を定める

経営理念を下記の通り、定めました。

  • 1. より有効で安全な医薬品を開発し、高品質かつ経済的に安定供給することにより国民医療に貢献する。
  • 2. 社員の豊かな生活を実現し、株主の利益を守るため全社一丸となって創意工夫努力する。

また、当時は以下の経営方針・スローガンを掲げていました。

  • 【経営方針】1.変化に対応し風とおしの良い開かれた会社 2.公正な評価と人材の育成 3.仕事には厳しくしかし人には優しく 4.総力を結集し全社営業マン 5.生きがいのある“良い会社”づくり
  • 【スローガン】確かな医薬品を通じて人びとの健康と幸せを願う沢井製薬 創業以来60余年、沢井製薬は「明日への健康」をスローガンにより有効で安全な医薬品を開発し、高品質の製品を通じて人びとの健康に貢献してまいりました。

研究開発センター(当時)開設

1991メディサ新薬株式会社を子会社化
(現 サワイグループホールディングスの連結子会社)

1992三田工場完成

1994製剤研究の充実を目的に製剤研究センター(当時)を開設

1995 阪神・淡路大震災

株式店頭登録

1996ホームページ開設

当時の販売品目数は約200品目。

1997全国紙に全面カラーの新聞広告を掲載開始

全国5大紙へジェネリック医薬品啓発を目的とした全面カラー広告を掲載。「安心を、沢井製薬がお約束します。」をキャッチコピーに、「ジェネリック医薬品」の価値を大々的に打ち出した最初の企業広告です。「後発医薬品」ではなく「ジェネリック医薬品」として、世の中の人に認知してもらい、正しい認識を持ってもらう。この意味を伝えるために、本当の母子をモデルに起用したことも私たち沢井製薬の強い意思の表れでもあります。

全面カラーの新聞広告

消費税率5%に引き上げ

2000東京証券取引所 市場第二部上場

ジェネリック医薬品メーカーとして初の東京証券取引所市場第二部上場。

ジェネリックハンドブック配布開始

ジェネリック医薬品について分かりやすくまとめた冊子「ジェネリックハンドブック」を作成・配布開始。ジェネリック医薬品とは何か、新薬(先発医薬品)との違いなど、私たちがお届けするジェネリック医薬品について詳しく記載しています。
ハンドブックには、保険証や診察券、お薬手帳に貼って、ジェネリック医薬品を希望する意思を伝えるための「お願いシール」も付けています。

ジェネリックハンドブック

2003東京証券取引所 市場第一部上場

2000年のジェネリック医薬品メーカーとして初めての東京証券取引所市場第二部上場に次いで、2003年には東京証券取引所市場第一部に指定されました。
ジェネリック医薬品使用促進の国策に応えるという責任を全うすべく、より一層充実した社内体制を確立し社会的責務を果たす努力を重ねています。

東京証券取引所市場第一部に指定された時の様子

医療関係者向け情報サイト「sawai medical site」を開設

2004俳優の高橋英樹さんを起用したテレビCMを全国で放映開始

沢井製薬初のテレビCMは、高橋英樹さんと薬袋に入ったもう一人の小さな高橋英樹さんが登場。映像としてのインパクトを高める工夫と「あなたのお薬代が安くなるかもしれません」というメッセージで、ジェネリック医薬品の魅力をアピールしました。テレビCM放送前の2004年3月時点ではジェネリック医薬品の認知率は25.8%でしたが、全国への放映開始から約4か月で認知率が55.8%に上昇。テレビCMをきっかけにジェネリック医薬品への認知が広がりました。
(認知率調査:沢井製薬調べ)

俳優の高橋英樹さんを起用したテレビCM

2005日本シエーリング株式会社(現 バイエル薬品株式会社)の茂原工場を
譲受(現 関東工場)

2006新社屋を完成。本社・研究所を集約、現所在地(大阪市淀川区)に移転

事業規模拡大や、研究開発と営業部門の連携を図るために、現所在地である大阪市淀川区へ新社屋を建設。営業部門から届く医療の現場からの意見をすぐさま研究開発に生かせるようになりました。異なる部門を1つの拠点に集めることで情報も集約でき、社内の意思疎通がスムーズになったことは大きなメリットです。

新社屋の外観

2007関東工場シリンジ棟新設

企業理念として「なによりも患者さんのために」を定める

患者さんをはじめとするステークホルダーの方々の期待と信頼に社員一人ひとりが応えられるよう、企業理念と行動基準を明文化。

ジェネリック医薬品の数量シェアの目標を閣議決定

政府は2007年6月、2012年度までにジェネリック医薬品の数量シェアを30%以上にするという目標を閣議決定するも、最終的には未達に終わりました。

2008ジェネリック医薬品のさらなるステージアップに向けた取り組みを推進

政府によるジェネリック医薬品使用促進策開始と合わせて、沢井製薬は経営陣の新体制をスタート。1988年の社長就任以来、ジェネリック医薬品普及啓発に全力を傾けてきた澤井弘行と、社長に就任した澤井光郎は、ジェネリック医薬品業界のさらなるステージアップに向けて官民一体となった活動を積極的に推進しました。

澤井弘行 澤井光郎

「健康かけいぼ」(現「サワイ健康推進課」)オープン

健やかな将来へのヒントをお届けする健康情報サイトをオープン。健康や日本の医療費節減に役立つ情報を発信しています。

2009 製剤研究センターを開設

2011東日本大震災

製剤研究センターの名称を製剤技術センターに変更

2012社会保障・税一体改革

社会保障・税一体改革大綱に、さらなるジェネリック医薬品の使用促進を図る施策が盛り込まれました。

2013関東工場製剤工場完成

ジェネリック医薬品のロードマップを国が策定

「後発医療品のさらなる使用促進のためのロードマップ」では、ジェネリック医薬品のさらなる使用促進の必要性、新たな目標の設定とモニタリングの強化、具体的な取り組みおよび課題が発表されました。

2014消費税率8%に引き上げ

抗血小板薬「シロスタゾールOD錠」が「旭化成創剤開発技術賞」を受賞

血栓形成の抑制を働きかける、抗血小板薬「シロスタゾールOD錠」が、公益社団法人日本薬剤学会「2014年度旭化成創剤開発技術賞」を受賞。素錠に対し、レーザーマーキング装置を用いて直接印字する技術を生み出し、さらにレーザーマーキングに必要な酸化チタンを錠剤中に均一に分散させる製法を確立したことで、精細な文字を印字したジェネリック医薬品を開発したことが評価されました。

2015田辺三菱製薬工場株式会社
鹿島工場(現 鹿島工場) 譲受

財政健全化計画策定

日本政府の財政赤字脱却を目指す「財政健全化計画」が経済財政運営の指針「骨太の方針2015」に盛り込まれ、歳出抑制の具体策の目玉としてジェネリック医薬品の普及が謳われました。

開発センター完成。
製剤技術センター(当時)の機能を開発センターへ集約

2016三田西工場完成

2017「ピタバスタチン錠」が米国食品医薬品局(FDA)から承認取得

原発性高コレステロール血症、脂質異常症の患者を対象とする医療用医薬品のジェネリック医薬品である「ピタバスタチン錠」が、日本のジェネリック医薬品専業メーカーでは初のパラグラフⅣによる医薬品簡略承認申請(ANDA)の承認を取得。

Upsher-Smith Laboratories, LLCを子会社化

日本のジェネリック医薬品市場が拡大する中、沢井製薬は国内での存在感の確立に加え、将来的に「世界から認知されるジェネリック医薬品企業」を目指すために、さまざまな取り組みを行いました。
世界最大の医薬品市場である米国市場へ本格的に挑戦するために、米国ジェネリック医薬品企業であるUpsher-Smith Laboratories,LLC.(以下Upsher-Smith)を買収し、子会社を設立。これまで沢井製薬が日本で築いてきた「知財戦略」「製剤技術力」と、Upsher-Smithが有する「マーケティングと販売網」「生産設備」「ブランド力」を組み合わせることで米国市場でのプラットフォームを確立しました。
また、2品目の医薬品簡略承認申請(ANDA)の提出や日本のジェネリック専業メーカーとして初のパラグラフⅣの承認を取得するなど、日本だけではなく米国の患者さんにも、高品質で付加価値のあるジェネリック医薬品を提供できる礎を築きました。

Upsher-Smith とは

ジェネリック医薬品の研究開発、製造、販売を手掛ける製薬会社。米国内での認知度が高く、患者さん中心の企業理念など当社との共通点も多く、ともに歩んで行くことを決意しました。

建物の外観

国がジェネリック医薬品の使用促進策を「骨太の方針2017」で閣議決定

2017年6月の閣議決定において、「2020年9月までに、後発医薬品の使用割合を80%とし、できる限り早期に達成できるよう、更なる使用促進策を検討する。」と定めました。

2019Upsher-Smith創立100周年

沢井製薬 創立90周年

私たち沢井製薬は、年間110億錠を超える日本最大の医薬品を供給する製薬会社であり、日本のジェネリック医薬品メーカーで売上トップ(2019年3月現在)を誇るリーディングカンパニーへと成長しました。
ジェネリック医薬品の使用率80%の時代において「サワイジェネリック」のブランドを不動のものとし、日本の医薬品業界においてなくてはならない存在を目指しています。

  • 沢井製薬 創立90周年のロゴとUpsher-Smith創立100周年のロゴ

2021持株会社体制へ移行

親会社となるサワイグループホールディングスを設立し、中核事業子会社に。

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